2015-08-18

シンガポールでグローバル人材について考える@Youth Ambassadors

日々の生活の中で、当たり前のように様々な人種が一緒に生活をしていて、英語を中心にしながらも様々な言語が飛び交っている。
そんな多国籍国家シンガポールにいると、日本でよく言われる”グローバル人材”の定義ってなんなんだろうなぁとよく考えることがあります。

私自身が日本でずっと感じていた大きな違和感のひとつは、少し英語が話せるだけで『グローバルだね!』とか言われてしまうこと。
「英語が話せる」ということが「グローバルであること」の本質ではないし、一定の教育を受けた多くの日本人もそのことをわかっていながら、その「英語が話せる≒グローバル」という世界観から抜け出せていない。
私自身が、そろそろ一旦自分の環境を抜本的に変えなければと思った理由のひとつはここにあります。

シンガポールにいると、ツールとして英語が使えるということはほぼ当たり前。
ビジネスマンはもちろん、フードコートで働いているおばさんおじさんも、タクシーの運転手さんも、一部カタコトだったり、独特のなまりやアクセントがあったとしても、英語でコミュニケーションをとろうという姿勢があります。

そういう環境にいることで、「英語が話せる/使える」ということ以外で、何が”グローバル人材”となる要素になるのか、というのが少しずつ明確になってきました。

今の私の中での”グローバル人材”とは、
「様々なバックグラウンドをもった人たちがいる世界の中で、自分もその”さまざま”なひとりであるという感覚のある人」
「自分の母国を傲るわけでも、卑下するわけでもなく、世界にある様々な国のひとつである(でしかない)感覚のある人」
「自分とは違う価値観(文化・宗教・民族の違い)を知り、理解しようとする姿勢があり、そうした自分とは”違う”人と共生できる人」

この3つの要素を兼ね揃えている人かな、というのが最近の考えです。

英語はあくまでもツール。世界各国で流れる情報を自分自身で一次情報として得るため、より多くの人とコミュニケーションをとるための手段です。

例え英語が流暢に話せたとしても、上記のような要素を持ち合わせていない人は”グローバル人材”とは言えないと思うし、逆に英語があまり得意ではないとしても、上記のような要素を持ち合わせている人は”グローバル人材”に近いのかもしれない。
一方で、上記のような要素を持つにあたっては、やはり世界の様々な情報を取り入れたり、様々なバックグラウンドをもつ人たちとコミュニケーションをとることになるため、結果として、上記の要素を持つ人の多くは「英語を話せる/使える」ということになるのかもしれません。

先日あったそんな”グローバル人材”について考えさせられる機会。
大学(ICU)の同窓会の会長の木越さんに、シンガポール支部の代表の方をご紹介いただき、その代表の方がボードメンバーを務める非営利組織のお手伝いをしてきました。
お手伝いさせて頂いたのは、Youth Ambassadorsという組織が手がける”Asian Student Leadership Conference”。
これはASEAN諸国の学生が1週間シンガポールに集まり、共同生活をしながら、シンガポールで活躍する様々な分野のプロフェッショナルによるレクチャー、チームビルディング、コミュニティーワーク、リーダーシップトレーニング、自分のコミュニティーを改善するためのプロジェクト提案、プレゼンテーションなどを体験するプログラム。マレーシア、インドネシア、カンボジア、ミャンマー、タイなどといったASEAN各国と中国から、12歳ぐらいから18歳ぐらいまでの学生が300名ほど集まっていました。
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私がお手伝いさせていただいたのは、他の国の学生とお互いの国のこと、社会のこと、教育のことの状況をシェアしながら、同じ国の出身メンバーとチームを組んで、自分の母国、コミュニティーをよくするためのアイディア(プロジェクト)を考える、というセッションのファシリテーション。
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上の写真の手前にいるグループが、私が主にファシリテーターとしてお手伝いしていたグループ。
みんな12歳前後の、タイやミャンマー、インドネシアからきたグループの子どもたち。はじめは恥ずかしがって真面目に話そうとしませんでしたが、少しこちらから話題を振ってみると、次第にそれぞれの国のこと、学校の仕組み(何歳から学校に行くとか、飛び級ができるとか)をお互いにシェアしはじめました。

シンガポールに旅費を払って来られるぐらいの生活水準の家庭の子どもたちなので、それぞれの国の中で中級クラス以上、比較的恵まれた家庭に育っている子どもたちのようです。それでもまだ12歳ぐらいなのに、母国語ではない英語を使って、自分とは生まれた国も育った環境も違う子どもたちがお互いにお互いのことを話したり、聞いたり、理解しようとしたりしている姿がとても心に残りました。そして心に残ったのと同時に、なんとも言えない喪失感というか、虚無感にもかられました。

私が感じたその喪失感、虚無感というのは、漠然と感じた「あーこの子たちに私はかなわないなぁ。。」というような感覚。
きっとこの子どもたちは、今回の経験やこれからの経験を通して、限りなく先に挙げた要素を持った”グローバル人材”になっていくんだろうなぁと。そして、こんな風に12歳ぐらいから、いろんな人種やバッグラウンドをもつ人たちと直接コミュニケーションをとって、何かを一緒にするということができていたら私の人生はもっと違うものになっていただろうか。。(遠い目)ということもふと思ってしまいました。

それからとても面白いなと思ったのがブルネイのこと。
このプログラムの中で行う「自分のコミュニティーを改善するためのプロジェクト提案」がブルネイの子どもたちとっては特に考えることが難しいそうです。それはなぜか。
ブルネイはイスラム教国で王制、石油やガスがたくさん採れることもあって小さいですがとても豊かな国。そのため税金もなく、教育も医療も王様によって国民にほぼ無料で提供されるため、ブルネイの子どもたちのマインドは「必要なものはなんでも王様が与えてくれる」というものになっているとのこと。そうした恵まれた環境にいるからこそ、こうしたプログラムに参加して、他の国を知り、自らの国のことを客観的に考えることができるようになる必要があると、Youth Ambassadorsの運営メンバーの方がおっしゃっていたのがとても印象的でした。

“グローバル人材”とは何か。
シンガポールにいると周辺諸国や海外のことがより身近になり、日々いろいろと考えさせられます。
先に挙げたような要素を持った”グローバル人材”になれるよう、私自身も目下修行中。。

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大学の大先輩であり、ICU同窓会シンガポール支部の会長であり、Youth Ambassadorsのボードメンバーを務める碇さんと。
ほんの少しのお手伝いでしたが、Certificationを頂きました^^
碇さん、貴重なご機会を本当にありがとうございました!そして碇さんをご紹介くださったICU同窓会会長の木越さんにも改めて御礼申し上げます。

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