2015-04-07

シンガポール通信:多様な民族 -みんな違って当たり前、みんな違ってみんな良い

日本からシンガポールに来ると、まず最初に驚くことのひとつは、民族の多様性だと思います。
シンガポールはまだ国が始まってまだたったの50年。今年はちょうど建国50周年です。

いわゆる”シンガポール人”と呼ばれる人の中にも、中華系、マレー系、インド系などいろいろなルーツを持つ方々がいます。
一方で、母国は外国でありながら、この国に何らかの理由で住んでいる人、外国人就労者なども含めると、日本人はもちろんのこと、欧米人、シンガポールの周辺諸国であるマレーシアやインドネシアなどの国から来ている人など、本当にさまざま。
このような状況なので、人の見た目だけで、その人が”ナニジン”なのかを推察するのは非常に困難です。

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※金曜日の夜、いろいろな人種の人があつまるBar シンガポールのオフィス街で良く見かける光景

そしてこれだけ多様な民族が一緒に暮らすシンガポール国内で主に使われている言語は英語、公用語は英語です。
シンガポール人は、教育機関において英語と、もうひとつ自分の母語となることばを、中国語(北京語)、タミル語、マレー語の中から選び学ぶことを義務付けられています。なので国民の多くがバイリンガル、3つの言語を操るトリリンガルも決して珍しくはありません。
シンガポールにいても、自分がどのようなコミュニティ(仕事や住む地域など)に所属するかによって変わってくるかとは思いますが、英語と並んでよく聞くのは中国語。シンガポールにいるうちに、中国語も勉強したいなぁと思う今日この頃。

私はシンガポールに来て10日間の間にすでに3回ほど観光客と思われるインド人や中国人に道を聞かれ、また住んでいる場所の近くのローカルなスーパーでは中国語でガンガン話しかけられ、雰囲気はすっかりローカルに溶け込んでいるようです(笑)が、そんなことが起こるのもこの多様な民族が混在して共存するシンガポールならではなのでしょう。

これだけの民族が一緒の国に暮らすといろいろな問題が起こりそうですが、それが極めて少なく、平和に、安全に暮らせるのがシンガポール。
シンガポールは”明るい北朝鮮”と揶揄されることもあるほど、ルールが厳しい国です。たとえば有名なルールでいうと、入国する時点からガムはNG、もちろんシンガポール国内では販売していません。またシンガポール国内の主要な交通手段となる地下鉄内では飲食が禁止されています。
ルールが厳しいとはいえ、これだけの人種やバックグラウンドの人が一緒に暮らしていくためには、このようなルールは必要不可欠。ルールがあるおかげで、シンガポールの清潔さと治安の良さが保たれているのだと思います。

先週の金曜日は”Good Friday”というシンガポールの祝日でした。これはキリスト教のイースターのお祝いの祝日。
多様な民族がいるということは、多様な宗教が存在するということとほぼ同義といっても良いかもしれません。シンガポール人の友人に「シンガポールはなんでキリスト教の国じゃないのに、キリスト教の祝日があるの?」と聞いた私に、彼女が「シンガポールにはいろんな宗教があるから、何かひとつだけ優遇したり特別扱いをすると反感を買いかねないから、すべての宗教の行事のお休みがあるんだよ」という答えをくれたときには、これがシンガポールらしさのひとつなんだなぁということを改めて感じました。

私は小さい頃から家族旅行で海外に行く機会が多かったことで「それぞれの国にそれぞれ独自のライフスタイルや価値観を持った人がいる」ということを知ることになりました。いろいろな国にいき、その国の人やその生活に触れることから得られる発見は、幼心に私の心をとらえて離しませんでした。
そんな私にとってはたくさんの人種や民族がいるこの国にいること、住み、暮らすことは、日々たくさんの発見があって、楽しく、面白く、そして居心地の良さすら感じます。

日本も私の母国であり、無条件に大好きで、客観的に考えても素晴らしい魅力をたくさんもった国であるという気持ちは変わりません。
でも日本よりシンガポールがよいなと感じることがあるとすれば、この民族の多様性から来る『みんな違って当たり前、みんな違ってみんな良い』というような感覚。それぞれの価値観、考え、ライフスタイルが尊重され、それぞれが自由でいられること。これは、歴史が長く、民族的に、また地理的な環境から極めて”同質的”な国である日本にはない感覚です。

日本の”同質性”は、日本人同士で言葉にせずとも相手のことを察することができたりするというメリットがある一方で、時に外国人からすると、言葉にしてくれないからまったくよくわからない、といったことや同じ日本人同士であっても、自分の価値観や考え、ライフスタイルすらも相手に知らず知らずのうちに強要することになることがあります。
日本でも頭ではみんな分かっている『みんな違って当たり前、みんな違ってみんな良い』という感覚、そろそろもっと現実に落とし込んで行動していく必要があるのかもしれません。

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