2017-03-30

シンガポールで生活して変わった6つのこと(前編)

ちょうど今月の3月25日でシンガポールの生活が3年目に突入しました。
前回の記事でも書いたように、4月以降、より本格的なシンガポール生活3年目が始まる前に、この2年で自分の中で変わったことを、気がつく範囲で残しておこうと思います。

ざっくり”社会的なこと”から”個人的なこと”という流れで羅列して記載しています。

シンガポールで生活して変わった6つのこと
①東南アジアの国々とそこに生きる人たちへのイメージ・印象が変わった。
②オンライン+電話のみでビジネスを完結することに違和感がなくなった。
③英語の実践力が身についた。日本人がいない環境、英語だけで展開される環境がこわくなくなった。自然体で臨めるようになった。
④”自分でやるべき”と考えていたことを人にお願いすることに抵抗がなくなった(特にメイドさん)。
⑤”やりたいこと”や”ありたい姿”に素直に。年齢に対するバリアがなくなった。
⑥将来の選択肢が広がった。もっと柔軟に自由に生きていいよね、とより思えるようになった。

それではここから、このひとつひとつについて掘り下げていきたいと思います。
長くなるので前編と後編に分けることにしました。今回は前編。ご興味のある方はお付き合いください。
(それ以外の方は流し読みでお願いします笑)

①東南アジアの国々とそこに生きる人たちへのイメージ・印象が変わった。
最初からぶっきらぼうな発言になりますが、日本人の『東南アジア』に対する見方・目線はどこか上から目線なところがあるなと感じています。日本は”発展”した国で、東南アジアは”発展途上”の国々。生活水準や教育水準などにおいて日本の方が”上”、あるいは東南アジアの人々と日本人を比べると日本人の方が様々な意味で”豊か”な生活を送っているというような、そんな漠然としているイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。そういうなんとなくのイメージが自分の中にも知らず知らずのうちにあって、日本での生活の中で触れていたニュースや様々なメディアからの情報からそうした漠然としたイメージが出来上がってしまっていたことに、私自身シンガポールに引っ越してから気づかされました。

『東南アジア』とひとくくりにいっても様々な国があり、それぞれに特徴があります。特に私がいま生活をしているシンガポールは特殊な存在。東南アジアひいてはアジアのビジネスハブとして近年急速な発展を遂げた国です。その背景から、シンガポールにいる人たちは、シンガポール国内で完結する仕事ではなく、東南アジアやアジアでのビジネスの統括拠点としての役割に関わる仕事をしている人が多くいます。つまりシンガポールに住んで暮らしてはいるけれど、常に周辺諸国を飛び回っていたり、シンガポールにいながらにして違う国々のビジネスをマネジメントしていたりすることが多々。そういう背景もあって、シンガポールには様々な国籍や民族的なバックグラウンドを持った多種多様な人が生活しています。シンガポールに外国人として生活している人も、いわゆるオフィスワーク・ホワイトカラー的な仕事をしている人から、道路工事やメイドとしての仕事などのブルーワーク的なお仕事をしている人まで様々。

日々生活していて、直接触れ合ったり友達になったりするのはほとんどがホワイトカラーの仕事をしているシンガポール人もしくはシンガポール人以外の外国人ですが、とても優秀な人が多いなと感じます。何を持って”優秀”だと感じているかというと、主にコミュニケーション能力(話していて感じる物事への理解力やその背景にある知識など)、語学力、そして現在している仕事、などの要素から。母国がベトナムやインドネシアなどの東南アジアの友人の中には、家族の方針で高校、もしくは大学からシンガポールで生活しているという人も少なくありません(シンガポール政府が、大学卒業後3年間はシンガポールで働くことを条件に奨学金を出して優秀な学生をシンガポールに呼んでいる背景もあります)。彼らは、英語が母国語もしくは母国語のほかに英語が不自由なく使えて、(もしくはもうひとつぐらい他の言語が話せて)ビジネスができる。

日本で生まれ、日本で教育を受け、日本で社会人としてのキャリアをスタートし数年経験してきた自分と比較をすると、日本の外の全てが英語で展開される世界での実践力・即戦力性は明らかに彼らのほうが上。日本人は、海外にいても何かしら日本と関わる、もしくは日本語が必要とされる仕事をしている人が多いように感じます。私自身の現在の仕事もそうです。でもシンガポールには、自分が”ナニジンである”とか”ナニゴを話す”かとかはまったく関係なく、自分の持つビジネス経験を使って、自分の母国語ではない様々な国と、英語でビジネスをしている人がたくさんいます。そういう友人たちにたくさん出会って、それぞれのこれまでの人生のこと、仕事のことなどを話していると、『日本の外の土俵での私の価値ってなんだろう』というなんとも言えない敗北感(?)と危機感と、”それでもなんとか自分がなりたい自分にたどり着くんだ!”という負けず嫌い精神(?)が入り混じったなんとも言えない気持ちにいつもなります。

東南アジア周辺諸国のニュースや情勢は、仕事を通してまたニュースなどのメディアを通して、物理的・心理的に距離のあった日本にいた時よりもたくさん入ってきます。確かに日本と比べると、貧富の差が激しかったり、発展していて都会的な生活ができるのは首都を中心とした一部の都市だけ、という国もたくさんあります。でもインターネットやテクノロジーの発達で、お金をあまり持っていなくても、様々な情報が得られたり、何かのきっかけで社会的に成功するチャンスが掴めたりする可能性が一昔前よりも増えてきている気がします。東南アジアのスタートアップシーンも盛り上がっていて、若い労働力がたくさんある国、人口が増えている国にはいろいろな意味で可能性を感じます。

なかなかこの感覚のすべてを言葉で表しきることができずもどかしい。これはやっぱり住まないと見えてこない感覚だと思う。シンガポールにきてから2年間の間に、私とって『東南アジア』は、それぞれの国に対するイメージも、またそこに生きる人たちのイメージも、まったく変わりました。そしてそれによって、日本という国の課題、日本という国への危機感、そして自分自身の人生に対しても緊張感を持つになりました。

②オンライン+電話のみでビジネスを完結することに違和感がなくなった。
これはシンガポールに引っ越したから、というよりは、私自身がシンガポールに引っ越して新しく始めた仕事・業界による影響が大きいと思います。
現在私がシンガポールでしている仕事は『プライマリー・リサーチ』と呼ばれる業界。クライアントは主に戦略系コンサルティングファーム、PE/HFなどの投資関連企業、事業会社の経営企画部等が対象で、クライアントの依頼に応じてクライアントと世界中の有識者(アドバイザー)をつなげ、時間単位でコンサルテーション(電話もしくは対面)の場をアレンジする仕事をしています。有識者であるアドバイザーは現在どこかの大手また中小企業にお勤めの会社員の方もいれば、フリーランス、会社経営者など様々。日々複数のクライアントから様々な内容のご依頼をいただき、今世界で、世の中で、どんなことがHotなトピックなのか、世の中がどういう方向に流れているのかを垣間見える今の仕事はとても面白いです。また前職(人材紹介・転職支援業界)や個人事業をしていた時に感じていた『個人の知識や能力、可能性はひとつの仕事や会社にだけではなく、様々なかたちで活かされるべきでは』という自分の中の課題意識にこの仕事を通して取り組むことができていることもとてもやりがいを感じます。

一方、私自身は主に日本に所在する企業(日系・外資を含む)を担当していることもあり、基本的に日々のクライアントとの連絡はほとんどがメールと電話で完結。(ちなみにメールと電話の割合は8対2ぐらい。またメールのうち、英語と日本語の割合は7対2ぐらいで英語のほう多いです。)もともと大学卒業後からシンガポールに引っ越すまでの約8年間の社会人生活では、営業やヘッドハンターなど”人と直接会ってなんぼ”という仕事をしていたので、この仕事をはじめた当初、クライアントと直接顔を会わせないこと、また依頼を頂いた際に”足を運んでの挨拶”をしにいかないことにものすごい違和感を感じていました。依頼主とも依頼先とも直接顔を合わせずに完結するビジネス。

でもしばらくして少しずつ業務に慣れてくると、ただでさえ忙しいクライアントにわざわざ”挨拶”だけのために私たちに時間をもらうのはある意味非効率的だし、依頼されたことに対して結果を出してクライアントに喜んでもらえれば、”挨拶”にいかなくても次の依頼がくる。また成果を出せば、”挨拶”にいかなくてもクライアントの紹介がくることも分かってきました。そんなことを通して、これまでの社会人生活8年間のうちに、自分の中に『お金稼ぎは、足を稼ぐからこそできること』という概念がしらずしらずのうちに出来上がっていたことも見えてきました。

“挨拶”の効果がまったくない、と言いたいわけではありません。やっぱり”直接会う”からこそできるコミュニケーション、得られる情報があると私自身強く思っています。また日本はビジネスシーンにおいて”とりあえず挨拶にいく”とか”足繁く通う”といったことに価値がおかれていることが多いこともあり”直接会うこと”が疑いのない当たり前のことになっています。一方でよく考えてみると”直接会う”ことのコストは以外と高くつきます。移動時間、交通費、待ち時間、場所代、飲食代などなど。。これだけテクノロジーが発達した世の中です。直接会わなくても質高くコミュニケーションする手段はたくさんあるはず。その上で、”直接会う”ということの価値をより認識して、本当に必要な場面でそれを使う。そういう風に効率化できることがまだまだあるのではないでしょうか。今の仕事やビジネスに出会わなければ、私自身おそらくこういう発想にはならなかったかもしれません。

この変化は”シンガポールで生活したから”というよりは、”いまの業界・仕事にであったから”の変化という部分が多いですが、それでもやっぱりシンガポールにいながらにして日本のクライアントの対応をするという物理的に”直接会う”ということが頻繁には難しいという制約があったからこそ生まれた変化かな、とも思います。
(ちなみにクライアントと直接会わないと言いましたが、四半期に一度程度上司が日本に出張し、まとめて”挨拶”にいっています。)

③英語の実践力が身についた。日本人がいない環境、英語だけで展開される環境がこわくなくなった。自然体で臨めるようになった。
実践的な英語力を身につけることは、私自身がシンガポールに引っ越した大きな理由のひとつでもあります。
私自身は2年前にシンガポールに引っ越すまで海外”住んだ”経験は一度もありません。海外旅行は、小さな頃に両親に連れられるがままにいろいろな国にいったのにはじまり、大学生や社会人になってからは自分でもいろいろな国に足を運びました。それでも最長の海外滞在は一ヶ月弱ぐらい。英語を身につけたのは日本の中学校・高校での勉強と大学受験の勉強。それから大学はICU(国際基督教大学)に進学したので、”英語で”授業を受ける機会がたくさんあったほか、留学生や帰国子女の友達と知り合うことも多く、その中で勉強を続けました。大学卒業後は日本の会社に就職したので特に”英語を使うこと”は目的にしていませんでしたが、私がICU出身だということを知っていた上司が『おまえ、ICU出身だから英語できるんだろう?外資系のクライント担当な!』という極めてざっくりした理由で外資系クライアント(主に金融機関)の担当になり、仕事で英語を使うことになったのでした。このことがきっかけでのちに仕事でも英語が使えるようになり、結果的に海外でも仕事ができるようになったこともあり、当時の上司にはとても感謝しています。

とはいえ、海外にきたから、シンガポールに引っ越したから、といってすぐに英語が上達するわけではまったくありません。特にシンガポールは『シングリッシュ』と呼ばれる独特のローカルの英語があって、発音や文法が中国語やマレー語などの影響を受けたオリジナルな英語。ひとによって差はありますが、シンガポール人は普段シングリッシュをベースに話しているので、そういうやり取りを毎日聞いているとだんだんわかるようになってくる一方で、自分の英語もシングリッシュになってきそうになります。ウエスタンネイティブですらシングリッシュの影響を受けるようで、シングリッシュの感染力はだいぶ強め(笑)(地元のシンガポール人の若い人たちは、このシングリッシュと通常の英語を状況に応じて使い分けることができる人が多くいます。例えば友達同士はシングリッシュで話すけど、ビジネスシーンにおいては通常の英語を話す、など)。またシンガポールには多数の日本人が住んでいます。その数は3万5000人ぐらいとか。そうなると、仕事で日本と関わる仕事をして日本語を使い、プライベートでは日本人の友達と一緒にいる時間が多く日本語で話す、という日本での生活の延長のようなかたちで生活することも可能です。英語の上達を求めていない人にとってはとても便利で暮らしやすい環境だと思いますが、英語を上達させたい人は強い意志を持って生活することが必要な環境でもあります。

私自身、上記にも書いたようにビジネスの場での英語はお手本がないままに自己流。そんな中シングリッシュの影響もあったりして、自分が正しい英語を書いたり話したりしているのかわからなくなることが多々。そこで今一度英語を復習しようと、学校に通いました。最初はグループレッスンで数ヶ月ほど2週間に1回程度で集中的に文法の復習。そのあとはプライベートレッスン(1対1)に切り替えて、日々の仕事でのメールのやり取りなども細かくフィードバックしてもらいました。先生はシンガポール人ですが、小さいころからイギリスで育ち教育を受け、結婚して子どもが生まれるまでイギリスでキャリアを積んでいた先生です。またシンガポールの生活ではできる限り自分自身を英語の環境に身を置くようにしています。学校での英語の文法的な復習を続けながら、日々いろいろなバックグラウンドの友人と会って話したり、ヨガや歌などの習いごとも日本人がいない環境ですべて英語でインストラクションを受けるようにしたり、興味のあるトピックのイベントに顔を出してパネリストの話を聞いたり、新しい人と出会ったり。。

そんな風に無我夢中で過ごしているうちに、シンガポールに引っ越してきたばかりのころに感じていた英語だけの環境に行くときの緊張感みたいなものが気がついたらなくなっていました。耳で聞く情報はもちろん、目で得る情報も、以前は日本語のほうが受け取りやすいと感じていたけれど、いまではWeb上や本などで英語で情報を見つけること、得ることが自然にできるようになり、英語の読書も苦ではなくなりました。またシンガポールはいろんなアクセントの英語を話す人がいるので、決して聞きやすいアクセントの英語ではなくても、理解してコミュニケーションをとるサバイバル力も身についた気がします(笑)あと、ごく最近の変化は、以前は少しでも日本語を使うと、自分の中の『英語脳』が後戻りして、日本語が心地よいほうに戻ってしまう気がしていたのですが、最近は日本脳と英語脳を頻繁に頭の中でスイッチしても、後戻りを感じず、ストレスも感じにくくなりました。

とはいえまだまだ課題もたくさん。やっぱりまだボキャブラリーが足りなくて、言いたいことを最大限に伝えられないこともよくあります。また一対一や少人数を対象にしたコミュニケーションは問題がないけれど、プレゼンテーションなど大勢を前に話す話し方はまだまだ経験が足りないし、訓練が必要だなと感じます。最初はネイティブのようになろうとしてそれが難しくてしんどかったど、今はネイティブではないなりに、仕事において、プライベートにおいて、”こんな風になれたらいいな”という目標が見えてきました。ここからはまたそれに向けて一歩ずつ努力するのみです。

さて、だいぶ長くなったので続きは後編で!

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