2018-04-18

今だから言える。シンガポールでの最初の3年間は、これまでの人生で背負った”じゅばく”を解き放つための期間だった。(前編)

シンガポールでの生活がさも終わってしまったかのようなタイトル(笑)。

シンガポール生活、全然まだ終わってません。まだまだ真っ只中。一方で、最近シンガポールでの生活がちょうど3年経過して(体感値では5年ぐらいw)自分の中で一巡したというか、一山越えた感があります。巷で人気の”しいたけ占い”に『誰にも頼まれていない修行を自分でし出すことがよくある山羊座』みたいなことが書いてあって、「あ、私だ」と。(笑)シンガポールに引っ越した2015年3月末からの3年間は、私にとってまさに”誰にも頼まれていない修行を自分でし出した”3年間でした。

来週に迫った約1年ぶりの日本への一時帰国。その間にシンガポールでの生活について、またその中での自分自身の変化についてお話しさせていただく機会があることもあって「自分の人生にとって、この3年ってどういう意味だったんだろう」と最近ずっと考えていました。その結果、この3年間は『これまでの人生で背負った”じゅばく”を解き放つため』に必要な期間と経験だったんだ、という結論に至りました。ずっとモヤモヤ考えていたんですが、言語化できてスッキリ。そしてしっくり来ています。

記事のタイトルに合わせて、解き放たれた感のあるサムネイル写真にして見ましたw

では、私が『これまでの人生で背負った”じゅばく”』とはなんだったのか。そしてその”じゅばく”がこの3年間でどう変わったのか。今日はそのことについて書きたいと思います。そして、記事の後半では、私の衝撃の(?)ビフォアアフター写真もw

ちなみにここではあえて”じゅばく”をひらがなで書いています。漢字で書くと、なんだかすごくおどろおどろしい感じがしてこわいので(笑)

これまでの人生で背負った5つの”じゅばく”

私がこれまでの人生の中で背負っていた”じゅばく”は以下の5つでした。

①”自分を優先してはいけない”というじゅばく

②”人とは直接会わないとビジネスはできない”というじゅばく

③自分の外見や容姿に対するじゅばく

④『”日本の中で”は英語ができる人』というじゅばく

⑤女性としての生き方についてのじゅばく

これに気がついたのはシンガポールに引っ越してから。また引っ越してすぐに気がついた訳ではなく、シンガポールで生活をするにつれて、今まで自分が生きてきた日本という社会やその中にある価値観から空間的にも離れ、また時間も経過したことで少しずつ気がついていきました。”じゅばく”は、自分が生きている社会での常識や価値観によって、無意識のうちに自分の中にできてしまっていることも多いので、もしかしたらずっと同じ国にいたり、同質的な世界にいると気がつけないことなのかもしれません。

ここからはこの5つの”じゅばく”について、ひとつずつお話ししていきます。

①”自分を優先してはいけない”というじゅばく

日本や日本人は良くも悪くも”他人”を大切にするし、それが美徳だと小さな頃から教え込まれています。”気を使う”という言葉があるくらい、日々の生活の中で人に対して気を配ることは大事なこと、必要不可欠なこととされています。確かに、自分の身の回りにいる人はもちろんのこと知らない人であっても、相手を尊重したり、優しい気持ちで接することは美しいこと、大切なことです。でも自分を自分を犠牲にしてまでそうする必要はあるでしょうか。客観的に見てみると、日本人は自分のことを犠牲にしてまで人のことを考えすぎな気がします。自分は本当はそうしたくなくても、社会や世間の目がそうさせる、という部分も多分にありそうです。

シンガポールに引っ越して、日本と比較をすると自分が持つ交友関係や人間関係も限られることから、自分の時間を持ちやすくなりました。その中で気がついたのは、これまでいか他人に時間を使っていたか、ということ。もちろん家族や親しい人たちとの時間、仕事などで他人と過ごす時間は必要だしあって当然です。でも日本にいた時には、自分自身選んでいるつもりでいましたが、それでもいろんなお付き合いや義理で他人に時間を使っていたことが多々あったなと気がつきました。日本にいた時には、自分を優先することに対して大きな罪悪感を持っていたような気がしますが、今はそれがすごく小さくなりました。自分が元気でいるからこそ、人にも優しく出来るし、人にプラスの影響を与えることもできる。だから、自分を優先して、自分のコンディションが良い状態で保てるように、ということに一番気を使っています。

②”人とは直接会わないとビジネスはできない”というじゅばく

日本は良くも悪くも人と人が直接会うこと、何かサービスが提供される場合に”人”が介在することへの価値がまだ高く置かれている気がします。近日公開される予定のForbes Japanでの寄稿記事にも関連のことを書かせていただいたのですが、シンガポールはその辺りは割とドライです。機械が変われるものはどんどん取って代わられているし、テクノロジーによって効率や生産性が上がるのであればそちらを優先する、というスタンスの国。私が現在シンガポールで勤めている会社は米国系の会社ですが、欧州、アジア含めグローバルにビジネスを展開しており、日々の仕事でのやり取りは基本的に全てオンライン(+電話)で完結します。クライアントは主に戦略コンサルティング会社や投資会社。そのクライアントと、彼らが日々の案件で必要とする一次情報を持つ個人の有識者とをおつなぎして、インタビューの機会をご提供することを生業としています。

私自身がもともといたのは日本の人材業界、特に人材紹介(転職支援)の業界。自分の仕事やその成果は、クライアントや転職候補者と会った数に比例すると教え込まれて来ました。労働集約的な人海戦術で仕事をする業界(少なくともこれまでは)に長くいたので、自分の中にもお客様にはまずお会いしないと、ご挨拶しないと、というマインドが強くありました。一方で、現在の仕事ではクライアントに直接お会いする、ということは基本的にありません。日々様々なクライアントからメールでご依頼があり、それに対応するコミュニケーションはメールか電話。この仕事を始めたばかりの頃は直接お会いしたことのないクライアントと仕事をするということに強い違和感がありましたが、今ではすっかり慣れてしまいました。3年間やって来て、仕事をするにあたってもちろん直接お会いしたことがあるという要素はプラスにはなると思いますが、仕事ができないという理由にはならないということが強く実感しています。また”とりあえずご挨拶”という日本の文化は非生産的とも言えます。クライアントも多忙な方々なので、わざわざ”会う”ことだけを目的にお時間を頂くのはお互いにとって効率的ではありません。日本で以前の仕事を続けていたら、このマインドシフトは経験できなかったように思います。これからはいろんな頃がさらにオンライン化、デジタル化されていく時代。そういう時代だからこそ、デジタル化・オンライン化で効率や生産性はあげながらも、”直接会う”という手段は、ここぞ!という時に使える強力な切り札としてうまく活用していくような仕事の仕方をしていきたいと思っています。

③自分の外見や容姿に対するじゅばく

ここのところ自分の写真をSNSやブログにバンバン載せているwのに、そんな人が?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

実はもともと自分の容姿に対する強いコンプレックスがありました。小さいころから背の順はいつも一番前(頑張っても二番目w)で、”前習え”のポーズはいつもひとりだけみんなと違う格好。牛乳はものすごくたくさん飲んだはずなのに、身長は全然伸びませんでした(笑)背が引くことに加えて、自分の顔もコンプレックス。うちの母は若い時美人で、小学校の参観日などに親が見に来たりすると、クラスのお友達が「まなちゃんのお母さん、美人だね!」とよく言ってくれました。嬉しかった反面、私にとってその言葉は「まなちゃんのお母さん、美人だね。でもまなちゃんは美人じゃないね。」に聞こえていました。なぜだかわからないのですが、私は確かにそう受け取っていました。それから、私には3つ違いの妹がいるのですが、妹は小さいころから美人顔で可愛い子どもでした。放課後、友達を呼んでうちで遊んでいたりすると友達からはよく「まなちゃんの妹、可愛いね!」と言われました。この言葉を言われるたびに、私はなぜか妹は可愛いけど、私は可愛くないってことなんだ、と言われたわけでもないのに確かに自分の中でそう受け取っていました。

またおしゃれすることやファッション・メイクなどに目覚め始める中学校の頃。私は中高一貫の校則の厳しいミッションスクールに通っていました。制服もダサいし(笑)校則も厳しい。当時流行っていたミニスカートやルーズソックス(!)をはくことなんて全く許されない世界。学校帰りに着替えるために持っているのがバレたりしたら即没収です。そんな環境だったこともあり、また両親も学校のルールにはちゃんと従いなさいというタイプだったこともあって、多感な時期にあまりおしゃれができず、また「おしゃれをする=チャラチャラする=良くないこと」というような価値観がこの頃に自分の中に強く出来てしまったように思います。(なんだか”おしゃれをする”という言葉の表現がちょっと古すぎるような気もして来ましたが、代わりの言葉が見つからないので、このままにしておきますw)

そういう背景もあって、自分で心から好きなお洋服や好きなメイクをして自分を自分の好きなように飾ることが楽しくなって来たのは大人になってからのこと。そして、シンガポールに来てからは、より自分の好みを追求できるようになりました。シンガポールにはいろんな人種がいることもあって、自分の髪の毛の色や肌の色で、人からどうこう言われることはありません。業界や職種によっては、髪の毛を奇抜な色に染めることは控えている人たちももちろんいますが、それでも日本と比べると「これで大丈夫なんだ!」と思うような髪の色や髪型の人たちもいます。(そして私も今現在、日本で社会人をしていたらありえなかったであろう髪の色ですw)

客観的に見ていると日本は、人の好みの系統が似ている気がするし、同質的な社会だからなのか”これが美しい”とか”これが美人”とか”これが可愛い”とかそういう基準がすごく偏っているようにも見えます。日本のファッション雑誌とかを久しぶりに見たりすると、なんだか際立った個性がなくてなんとなくみんな同じように見えたりする。あとは、女性のファッションは”自分がどうありたいか”よりも”人からどう見られるか”、特に”男性からどう見られるか”に重きが置かれている。これは、メディアの影響、もしくは現在メディア業界で力を持っている人(男性)たちの好みが反映されているとも言えるのではないかなと私は考えています。(韓国などはそういう意味で日本とちょっと似ている部分があると思います)

いろんな人種がいるということは、それぞれの人種に独自の美しさや美しさの基準があるということ。例えば中華系の人種の美しさもあれば、マレー系の人種の美しさ、インド系の人種の美しさなど、本当に様々でそれぞれに素敵で美しい。私自身も自分だから発揮できる個性やその美しさがあっていいはずということを心が受け入れて表現できるようになったのは、シンガポールの多民族多文化の環境の中に当たり前のようにある多様な価値観の存在が大きい気がしています。

 

さて、だいぶ長くなって来たので、記事を前半後半に分けることにしました(笑)

前半はここまで。後半は”じゅばく”の残り2つについて書いていきたいと思います。後半もお楽しみに!

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